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Interviews

荒木経惟

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荒木経惟ー生と死を巡る旅

Photographer Nobuyoshi Araki discusses his photobook Sentimental Journey/Winter Journey (1991), which includes pictures of his 1971 honeymoon.

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荒木経惟ー生と死を巡る旅

荒木経惟
『センチメンタルな旅・冬の旅』
三月 2016

荒木経惟:もうね、もうアウトだと思ってるんですよ。色んな美術館だとか、色んなキュレーターさん達が私の生涯の写真をまとめてくれてるんだけど、妻をずーっと撮ってるけど、妻を撮った写真の中で一番良いのはどれかとか聞かれるわけですよ。そうするとね、余計なお世話だけど、そういうこと聞かれることってのはすごく良いんだけど、自分にとって。何かな?と思って見ると、妻に関してだと、今選ぶと、要するに、ソファで隣に彼女がいて、そんでパッと撮った写真があるわけ。そういう写真に惹かれるわけ。例えば愛とかなんとかっていうことが写真に一番重要なことなんだけど、私にとっては。こんだけ愛してると思った、それから愛してると感じた時を撮ったっていう様な写真のはずなのに、写ってるものはね、1人なんだよね。

そのセンチメンタルな旅っていうのは、私の新婚旅行で、生きていくことは旅だっつーのと、それから自分自身の写真の旅。つーか、写真機持ってることはセンチメンタルなことである、というふたつ掛けての。要するに、これからの出発、これから生きていくっていうことだったんだけど、あがったの見たら、もうその時にこれはセンチメンタル、幸せの旅じゃなくてもう死の旅になってるって感じる。彼女が病気になってから死ぬまでを撮った、生への旅と死の旅っていう、二つくっついたのが、その『センチメンタルな旅・冬の旅』っていう写真集だけど。それが今見ると、混ざり合ってるつーか、センチメンタルの旅の中にもうその時は死の旅っていうか、になってるわけ。

柳川でね、川下りの、船に横たわって寝ちゃった彼女を撮った写真があるんだけど、新婚旅行だから、もうセックスしすぎで疲れきってるわけよ。それで寝ちゃったわけよ。日本でいう三途の川っつうか、あの世にゆく川を渡ってる様に写ってる。そんな意図で撮ったわけじゃないのに。だから、神だか誰かに撮らされたような感じがする。ポーズが胎児の形だったり、それから私の生まれ育ちのあたりでは、死んだらござの上に寝かすから、そのござの上にちょうど寝てるし、そういうのがみんな写っちゃってる。自然とそういうのが写っちゃってる。

だから人生っていうのは、生きるということはセンチメンタルなことであるというような感じで、センチメンタルじゃなくちゃダメだっていう、生きるってことはそういうことだっつうのが、今も続いている。だから私にとっちゃ無意識的にどうしてもその写真が残るわけよね。なんか私の場合は、なんかね、人間ってひとりぼっちだよっていうのが出てきちゃうわけ。切なさが。これからもうちょっとね、撮り続けるっていう気分なんだよ、今。

今、『センチメンタルな旅・冬の旅』が一番好きだって言ってけど、一番良いのはこれから撮る写真だよ。今撮ってる写真が一番良いはずだよ。

もうちょっと長生きしたいと思ってるのは、あのね、生まれた時に天から才能を貰い過ぎちゃったのよ。それをまだ使い切ってないから。使い切りたいから、もうちょっと長生きするからね。ハハハ。

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所蔵品 荒木経惟