川内倫子が世の中の小さな謎を考察する
川内倫子
2016年3月
川内倫子:写真を撮る時って、確かに通常の状態とはちょっと違うんですよね、やっぱり。スイッチが入るっていう感じで、ちょっと自分がアスリートになったような気持ちになるというか。カメラを持って写真を撮る時っていうのは、ある一つの、いつもとは違う領域に入ってるなー、とは思いますね。撮影する時自体は本当に無心の状態でいることが自分では大事だなと思っています。自分が無心の状態に集中できた時っていうのは自分でも思いがけないギフトみたいなものがあって、すごい瞬間を見せてもらえる時もあるんですよね。
自分が、やっぱり小さなことだったりとか、小さな出来事に小さい時にすごく助けられたな、っていう記憶があるんですね。だから自分も作品を作るときに、そういったことに耳を傾けたい、大切にしたいなっていう気持ちが、多分小さい時に自分がそういう体験をしたから、それを大事にしたいっていう気持ちがすごくあると思うんです。
ちょうど寝てる時と起きてる、覚醒してる時の中間、という意味で『うたたね』っていう言葉を選んだんですね。この作品のテーマになっているのはあらゆる意味での中間地点であったりとか、実際には夢が持ってる働きっていうのは難しいですよね、説明するのって。でもある一種の、なんだろう、潜在意識だったり、無意識の領域だと思うんですよね。そういうことにすごく自分が興味があるので、夢が自分のインスピレーションになるってことはありますね、時々。だから『うたたね』を作っていた時の初期の頃とかは、やっぱり自分が住んでる世界も今よりもっと狭かったし、自分にとって最適なサイズっていうのが、あの時作っていた本のサイズだったんですよね。
最近だと、『あめつち』っていうシリーズは、すごく大きいプリントで見せたいな、っていう意図があって作ったんですけど。一番最初のきっかけになったのが、ある日、自分が夢を見たんですけど、すごく綺麗な景色、ちょっと怖い位綺麗な景色だったんですよね。で、起きた時にすごい綺麗な景色を夢でみたんだと思ったんですけど、それが実際にある場所なのかどうなのか分からなくて。あるなら行ってみたいなと思ってたんですけど、分からなくて。
それから半年位してから、テレビで自分が夢で見た景色が流れたんですよね。それで、あ、本当にある場所だったんだっていうことに気が付いて。野焼きっていう行事が行われているってことが分かって、野を人の手で焼いて、草原を守るっていう意味があるんですけど、それが1300年位昔から続いていて、もし野焼きっていう習慣をしなければ、そこが森になってしまう。綺麗な草原をキープするためには、年に1回火を放ってそこの場所を焼くっていう行為をしなければ、草原は続いていかないんですよね。それが自然にできたものではなくて、人の手によって守られてるっていうことがすごく面白いことだなと思ったんですよね。
自分の中には、 循環だったりとか、人々の行なっているサイクルだったりとか、そういうことにすごく興味があるんですね。それは『あめつち』だけじゃなくて、他の作品を通じても、いつも根底に流れているテーマなんですけど。人々の日常だったりとか、生活だったりとか、世の中が保たれているっていうことにすごく美しさを感じるし。やっぱり世の中が何で出来ているのかっていうことは誰も説明ができなくて、色んな科学者とか、物理学者の人とか、哲学者の人が、色んな世の中の謎を解明しようとして色んな説を唱えているんですけど、でもやっぱり分からないことの方がすごく多いじゃないですか。それを自分は写真を通して証明するんではなくて、自分でただ考えたいと思っていて、世の中にある謎について考えたいっていうこと、そういったことにフォーカスしていくことによって、写真を通して考えたいっていうことが常にあるんですよ。