細江英公―写真は真実を語るか?
細江英公
2016年3月
写真はどれもリアルに見えますが、本当にリアルなのでしょうか。フォトグラフィーを日本語では〈写真〉と言います。写真、それはリアルに見えますが、リアルではありません。〈写〉した〈真〉実なのです。
〈かまいたち〉は想像上の動物です。〈かま〉は〈鎌〉、〈いたち〉は〈鼬〉。そこにはユーモア…とはいっても安全なユーモアではなく、危険なユーモアのニュアンスがあります。《鎌鼬》の〈いたち〉には、人を襲うという響きがあります。
土方巽は私の最も親しい友人でした。彼は〈ブトー〉という言葉を創りました。この〈舞踏〉自体は、一般的な日本語です。日本のブトーはダンスのひとつの形態ですが、このように身体をコントロールはしません。タ、タ、タ、ステップ、ステップ、ステップ…そう、バレエやアメリカのモダンダンスの動きとは違って、もっと日本的なコントロールされた動きです。
土方に、彼の生まれ故郷で写真を撮りたいと言ったんですね。私は、彼自身が鎌鼬(かまいたち)ではないかと感じました。彼にはそんなムードが、雰囲気がありました。彼は天才、天才的な踊り手ですが、バレエ・ダンサーのようではありません。エレガントという感じはまったくありません。見ている人を怖がらせ、常軌を逸したことをやったし、ユーモラスなこともやった。それで、村人たちはみんな笑い、そして場が和むのです。村は私にとってドラマチックな舞台だった。そこの人たちは、俳優であり、女優であり、そして土方自身は、そういった普通の俳優や女優に囲まれたスターだったのです。
当時はリアリズムの時代でした。日本全体がリアリズムでね。リアリズムは日本全国に普及され、私のリアリズムは、〈細江英公リアリズム〉であり、私はその反対側にいました。カメラを通して、自分のイメージを表現することはできます。表面上はリアルに見えますが、カメラを通して、実は自分の作品を作り上げなければならない。写真は単に物理的な動きの産物ではなく、心理的な作品です。なぜならカメラを扱って、操作するのは人間だからです。