Skip to content

Interviews

志賀理江子

トランスクリプトを参照トランスクリプトを非表示

志賀理江子が北釜村と東日本大震災について語る

Lieko Shiga explains why she began photographing Kitakama, a small coastal town in Japan that was destroyed by the tsunami of March 11, 2011. She describes how her series Rasen Kaigan (Spiral Shore) (2008–12) conveys the spirit and history of the community.

トランスクリプト

志賀理江子が北釜村と東日本大震災について語る

志賀理江子
『螺旋海岸』
2016年3月

志賀理江子:なぜ最初に北釜に行ったかというと、北釜がそこにあったからっていうわけではなくて、カメラ、そのまあ、被写体となるものをまず写真に撮らないで、そこに被写体となるようなくらい自分を魅了したものの中に、自分の生活ごと持って行ってそこに住んでみて、でそこから始めるっていうのが良いんじゃないか、という思って、で彷徨ってるうちに、海について、そしたらものすごく綺麗な松林があって、私はここに住みたい、だから、そこに結局は住むようになったということです。

で、最初のとにかく一年は、北釜のビレッジフォトグラファーとして、とにかく、一年色んな活動とかお祭りとか、セレモニーを撮影して、で、それをやっていくうちに、一人のおばあさんがコンコンという風に私のアトリエに来て、今から私のお葬式の時に使う写真を撮って欲しいっていうことをお願いされたんです。なんか彼女は何か特別な気持ちを込めて言っていたような気がして、で私はじゃあ「分かりました」というようなことを言って、やっぱり彼女が私に向かって、カメラに向かってまなざしを投げかけた時に、やっぱり何か、私の中でこの写真というメディアを使って追求しなければいけない北釜の目に見えない何かがある、ということに気づいた。

写真というのは、その目に見えるビジュアルアーツなんだけども、本当は写真というのは、私達の裸眼では、ネィキッド・アイでは、見られない世界のことを言ってるんじゃないのかな、という風に思ったんです。だとしたら、それは北釜の、そのスピリットだったりとか、歴史であったりとか、目には見えない、なぜ私達がここに一緒に暮らしているか、その大きな理由のようなものに、あたるような気がして、だとしたら、やっぱりその自分達の目には見えないスピリットに対してアプローチする為に、写真っていうものを使って近づいてみたいっていう気持ちがすごく沸き起こって、で、撮影をするようになったんですね。

私が北釜で『螺旋海岸』というシリーズを撮り始めた中のうちの《開墾の肖像》という作品についてなんですけれども、この北釜という土地は元々家がたくさんあったわけではなくて、松林に覆われた、ただの土地だったんですね。その土地が人の手の開墾によって、松の木が掘られて、家を造ったり、畑を造ったりっていう風にして、北釜が出来上がっていったんだけれども、その開墾を人の手だけでやるっていうのはどれだけ大変かっていうことを沢山語ってくださった方がいたんです。それがどれだけ大変だったかっていうのは自分の体では分からない。だから、その松の木を自分達だけで掘り起こしてみようと思って、掘り起こしたんですね。そしたら、あの、こんなに小ちゃい切り株だったんだけども掘ってみたら、ものすごく太い幹が下にばーっと 、繋がっていて、で、まあ、すごく私はびっくりしたし、語ってくださった人のお父さんが開墾のリーダーだったんですが、そのお父さんの、なんか、骨に会ったような気がしたんです。そのことを私は結構興奮して、おじいさんに伝えに行ったんですね。私はもしできれば、その木の根っことあなたを一緒に写真に撮りたいっていうことを言ったんです。『螺旋海岸』っていうのは一つ一つの写真の中に沢山の物語が入っているものです。

2011年の3月11日に北釜は震災によって12メートルの津波に襲われました。370人が住んでいて、約100家族が住んでいました。で、今回の震災では約54名が亡くなった、という風に記録されています。

以前は、あそこに住んでいました。この辺にも家、家、家があって、みんな同じ、このあたりに住んでいたんです。

ここは公民館長の鈴木さんっていう人の家で、ここに家が無くなったら、皆ここに家があったことを忘れてしまうと、ということで、彼はここの自分の家を残したんですね。で、見てもらうと分かるんですけど、一階に津波がバーンと来て、一階だけ壁やらなにやらが抜けたんだけど、二階は大丈夫、という状態。だから津波がどういう勢いで来たかっていうのがよく分かるようになってる。

ここがあの北釜でアトリエがあった所の入り口です。ここにも家があったりとかしたんですが、これが流されてしまった松の木の残骸ですね。これが私の北釜でのアトリエだったんですが、まさにここにありました。で、周りが松に囲まれていて、で、ちっちゃいコンテナハウスだったんですが、それがポツンとまさにこの辺にあった感じです。

ここが北釜の海です。ここは全部、北釜の海と、ずうっと、ずうっともう福島まで続く松林があったんですね。すごく美しい所でした。ここから約80キロで福島の原発があります。

地震があった時、私は車に乗って北釜からスーパーに買物に行く途中だったんですよ。で、踏切を超えたところで地震が来て、で、車の中で、足止めをされてしまって、しばらく待ってたんですね。で、おかしいな、と思って、車で北釜に戻ろうとした時に、津波が目の前にあるっていうのが分かって、また引き返して逃げた。

『螺旋海岸46』という作品はまさにこのあたりで撮ったものです。砂に棒でこう絵を描いて、それをちょっと高台から写真を撮ったような感じで、2、3日かけて撮った写真ですがここで撮りました。

そう、『螺旋海岸』の写真は、津波の前と津波の後に、両方撮っているんです。だいたい半々でしょうか。なので、津波に大きく関係していると言う訳ではなく、むしろ北釜村に大きく関連しているといった方が良いですが、津波を無視することはできません。津波が起こったことは、これは事実です。

「螺旋海岸」というのは、私の中では、過去、現在、未来の意味があって、写真の中の空間っていうのは、私はパスト・アンド・プレゼント・アンド・フューチャーが存在しない、もしくは全部ある空間だと思ってるんです。だから、今私たちが生きているここの、この生活空間とは全く違う、かなり宇宙的な世界のことを言うんだと思っていて、DNAの螺旋の意味もあるし、それをずうっと辿って行くと、私たちよりずうっと前に生きてた人とか、これからずうっと先に生きている人たちに辿り着くっていう意味を込めて「螺旋海岸」っていう風につけました。

もっと見る閉じる

所蔵品 志賀理江子