このサイトは、戦後から現在に至るまで、サンフランシスコ近代美術館所蔵の膨大で多様な日本の写真コレクションを中心に、過去60年間の主要な写真家の仕事を通じて、日本の独特で革新的な写真文化の発展を検証しています。 戦後日本における連合軍の占領とベトナム戦争期における在日米軍の拡大、1980年代の目覚ましい経済成長とその後に起きたバブル崩壊、そして2011年に東北地方で起きた東日本大震災までの激動の時代でありながらも芸術的に肥沃な時代を、写真家たちの経歴、講演会の内容、ビデオインタビューやその他の資料で洞察します。
第二次世界大戦後の日本が消費者主導の経済へと変貌を遂げる中、国の主要な新聞社各社は大衆市場向けの写真誌の制作を始めた。当時、日本土着の特性を持ち、独創的で高い表現力を持つ新しいスタイルの写真が台頭し始めたが、まだ作品自体が芸術表現であることへの世間一般の認知度は低く、このような写真誌がその普及に重要な役割を果たした。数ある写真誌の中でも特に重要な存在だったのは、毎日新聞社の月刊誌『カメラ毎日』と朝日新聞社 (現在の朝日新聞出版) が刊行した『アサヒカメラ』であった。両誌は、その頃成熟期を迎えつつあった東松照明、森山大道、細江英公らに代表される世代の日本写真家の目新しく個性的な作品だけでなく、欧米の写真作品やそれらに対する批評文も紹介した。多くのページはアマチュア写真家の作品にも充てられ、家族写真を上手に撮る秘訣や、海外の大規模な写真展や展覧会図録に関する真摯な批評や論考なども合わせて掲載した。またこの頃、両誌より小規模で私的な写真誌も出回るようになる。石内都と楢橋朝子が手がけた『Main(マン)』は、彼女たちの作品を通して試行錯誤を重ねる女性写真家としての体験を綴っている。ここに厳選した1950年代後半から1980年代にかけて書かれた記事やエッセイはいずれも、日本の写真文化とその海外における写真界との繋がりを考察する現代の言説を例証するものである。