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写真家

細江英公

日本

山形県米沢市出身

Black and White photo of artist Eikoh Hosoe
細江英公 撮影:ジャン=バティスト・フィン

細江英公(1933年生まれ)の主要作品は、戦後日本の活力に満ちた、ダイナミックな文化と直に絡み合っている。国が貧困から抜け出してアメリカと曖昧な関係を築くにつれ、人々は三島由紀夫の小説『禁色』に描写されているような既成の価値に対する徹底的な拒絶を受け入れるようになっていた。第一部が1951年、第二部が1953年に出版されたこの三島作品は、同時代の東京に花開いた同性愛社会を描いており、常識をくつがえすような解放的なその世界観は日本の前衛芸術家たちを大いに刺激した。細江といえば、三島本人からの依頼で制作した膨大な数のポートレートのシリーズで最もよく知られている。美しく鍛えられた三島のセミヌードの肉体を捉えたこの 作為的な写真シリーズは、1963年に『薔薇刑』と題して書籍化されて以来、細江の主要な功績とみなされてきた。非常に挑発的な三島のポートレートは、豪奢なネオ・ロココ様式の三島邸で撮影されたもので、背景にはサンドロ・ボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生』(1485年頃)など、ルネサンス期のイタリア絵画から取り入れたモチーフが手描きで施されており、コントラストが強く、粒子が過剰に粗くなるように処理されている。演劇的で、異質で、力強く、このシリーズは写真という表現手法ならではのものである。『薔薇刑』は、1970年には三島の付記を加え、三島の意向によって英語版の題名は Killed by RosesからOrdeal by Rosesに改められた。三島が公然と壮絶な割腹自殺を遂げる、ほんの少し前のことである。

細江の初期の作品は舞踊を撮影したものも多く、とりわけ暗黒舞踏に重点を置いている。暗黒舞踏とは、1960年代に土方巽が作り上げた、当時の舞踊の傾向に反する反モダニスト的な舞踊の形態である。これらの写真には鬼気迫るものがあり、親密でありながらも演劇的な設定で舞踏家の身体の細部を浮き彫りにし、性別、年齢、肌の色の違いが際立つよう撮影されている。おそらく、その中でも代表的なシリーズであり、明白な演出がなされていないものは、1969年に書籍化された『鎌鼬』だろう。細江はこれらの作品を土方とともに、二人が戦前に生を享けた東北地方で制作した。細江は土方を、害悪も恩恵ももたらさない「鎌鼬」と呼ばれる魔物の化身として撮影した。土方は農作業中の農夫たちの中に入って行ったり、ドラマティックかつ残酷に女性をさらったり、子どもにつきまとったり、赤ん坊を抱いてきらめく田んぼを駆け巡ったりするなど、〈鎌鼬〉となってふざけて回った。これらの奇妙な遭遇は、謎めいた原初的な日本を表すとともに、このシリーズが制作された時代の緊張と不安を反映しているように思われる。『鎌鼬』ほどの知名度はないが、1970年に制作されたまま2012年まで書籍化されなかった「シモン 私風景」は、魔物となった土方が東北の田園に出没したのと非常に似た手法で、東京に住まう女形役者を追ったシリーズである。これらは、細江の独自性が最も光る作品群だと言えるだろう。

細江はまた、究極の可能性を秘めた芸術形態としての写真を育むために尽力し続けている。1959年、写真家の緩いつながりからなるVIVOという団体を共同設立。メンバーには東松照明、川田喜久治、奈良原一高をはじめとする、写真界の革新者たちが名を連ねていた。細江は日本の写真の発展に数々の貢献をしてきたが、特筆すべきは、ほかに先がけて海外の写真界とのネットワークを築いたことだろう。アメリカの写真界とは1960年代から交流があり、当時、その点で彼に肩を並べる者はいなかった。細江は父親の暗室で写真を現像していた学生の頃に英語も学んでおり、最初期の作品は雑誌『ライフ』の様式から大きな影響を受けていた。初期のプロジェクトのひとつに、キャプション付きの架空フォトエッセイ『東京のアメリカ娘』(1956年)がある。当時、『ライフ』は東京のアメリカ文化センターで簡単に入手できた。細江はそこで、1953年にエドワード・ウェストンの個展を見たと回想している。英語が堪能だったからこそ、細江はさまざまな関係を築くことができた。1964年に初めて渡米し、ニューヨーク州ロチェスターにあるジョージ・イーストマン・ハウス(現ジョージ・イーストマン・ハウス国際写真映画博物館)でネイサン・ライアンズと面会した。それから何度かライアンズを訪ね、細江は同館のコレクションを活用して写真の歴史を包括的に見せる「世界の偉大なる写真家たち—ジョージ・イーストマン・ハウス・コレクション展」(1968年)という展覧会を企画し、日本にも巡回させた。それから10年の間に、細江はフランスからヨセミテまでどこへでも行って―主にアンセル・アダムス、ジャック・ウェルポット、ジュディ・データーらアメリカ人の写真家と―ワークショップを行い、写真以外の表現手法で制作する重要なアーティストたちとも出会っている。スペインの画家であり彫刻家でもあるジョアン・ミロはその一人である。細江は現在も日本の写真界を代表する指導者であり、山梨県北杜市にある清里フォトアートミュージアムでは1995年の開館当初から館長を務め、次世代の写真を支援すべくさらなる取り組みを続けている。

サンドラ・S・フィリップス 著

松浦直美 訳

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細江英公 参考文献

インタビュー

所蔵品 細江英公

エッセイとアーティストトーク

  • 東京国立近代美術館で開催された二つの展覧会、「現代写真の10人」(1966年7月15日-8月21日)と、「15人の写真家」(1974年7月26日-9月8日)は、いずれも第二次大戦後の日本の写真の展開において重要な役割を果たした写真家たちの近作によって構成されたグループ展だった。[1] 二つの展覧会には、戦後に登場した第一世代として写真表現に革新をもたらしたVIVO(ヴィヴォ)のメンバーである東松照明、奈良原一高、細江英公、佐藤明や、1960年代末から1970年代初頭にかけ、その活動が大きなインパクトを残したことで知られるPROVOKE(プロヴォーク)のメンバー、中平卓馬、森山大道、高梨豊らが名を連ねていた。「現代写真の10人」に出品されていた作品の中で最も年代の早いものは1962年である。「15人の写真家」には当時、雑誌に連載中の作品も含まれていた。つまり二つの展覧会をあわせれば、そこには1960年代初頭から1970年代半ばまで、15年ほどの日本の写真界の動向が視野に入ってくることになる。そしてその時代とは、今日、日本の戦後写真史において最も劇的だった時代の一つと考えられている。 二つの展覧会が開催された背景をまず整理しておこう。1952年に東京・京橋に開館した国立近代美術館は、その翌年に最初の写真展「現代の写真-日本とアメリカ」を開催する。これは戦後の日本写真の秀作により構成された日本側の作品と、ニューヨーク近代美術館のコレクションから選ばれたアメリカの写真の、二つのパートにより構成された展覧会だった。[2] これ以降、1966年の「現代写真の10人」までの間には、6つの写真展が開催された。[3] そのいくつかは日本の写真をとりあげるものだったが、そこで紹介されたのは一部の例外を除いて戦後発表された作品であり、いずれの展覧会においても、同時代の動向を紹介するという観点から作品が選ばれていた。 当時の国立近代美術館には、写真を専門とするキュレーターはいなかった。そのため開館以来、1974年の「15人の写真家」まで、写真展の開催にあたっては外部の専門家から構成された選考委員会が作品の選定にあたった。選考委員として招聘された専門家たちは、いずれも当時の日本を代表する写真評論家、写真誌の編集者などである。彼らは毎月のように写真雑誌の誌面などを通じ、同時代の写真についての論評を行い、その動向に少なからず影響を持つ存在だった。同時代の写真を幅広く視野に収めつつ、その動向と併走していた彼らの協議によって構成された展覧会を、ここではおおむね当時の状況がバランスよく反映された、日本写真界の「セルフイメージ」と考えてみたい。どの展覧会においても、特定のテーマをかかげることなく、同時代の動向を分析し、そこから代表的なものを紹介するという姿勢がとられていたからである。その典型は1960、1961、1963年の三度にわたって開催された「現代写真展」である。これらは年次秀作展と呼ばれ、前年に雑誌や展覧会などで発表された写真から選抜された作品により構成された展覧会であり、いわば断面として、直近の写真界の成果を紹介するものだった。[4]「現代写真展」が3回で休止したあとをうけ、三年後、形式を改めて開催されたのが、1966年の「現代写真の10人」だった。この展覧会の選考委員の一人、金丸重嶺がカタログ(図1)に寄稿したテキストによれば、この展覧会に選ばれた写真家たちは、「観念」に始まる「主観的傾向」と「対象を洞察」することから始まる「客観性を重視する傾向」という、二つのカテゴリーに分けられる。[5] このコンセプトは、1950年代末から1960年代初頭において注目された「主観主義写真」[6]の流れが提起した問題を踏まえていた。つまり「現代写真展」が、芸術的表現を志向するものから報道、広告、科学写真まで、あらゆるジャンルから網羅的に、その年ごとの秀作を選ぶという形式だったのに対し、「現代写真の10人」では、明確なテーマこそ掲げられていないものの、過去数年間の動向を分析し、そこから注目すべき傾向を抽出し、それを整理した形で示すという構成が試みられていたのだ。[7] 「現代写真の10人」では、より新しい世代の写真家たちに焦点が当てられていた。戦前からのキャリアを持つベテランも含め、幅広い年齢層の写真家が選抜されていた「現代写真展」とは異なり、「現代写真の10人」の出品作家は、すべて戦後に出発した写真家であり、最も年長の中村由信でも41歳、最年少の篠山紀信は25歳と、比較的若い写真家たちが選ばれていたのである。世代の限定は「15人の写真家」にも共通している。最年長は40 歳の深瀬昌久、最年少は田村シゲルで27歳だった。彼らはすでに一定の評価を得ていたとはいえ、まだ十分に若い写真家であったといってよい。
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関連の展覧会

  • The Provoke Era
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    The Provoke Era

    Postwar Japanese Photography

    September 12–December 20, 2009

    The tumultuous period following World War II proved fertile ground for a generation of Japanese photographers who responded to societal upheaval by creating a new visual language dubbed “Are, Bure, Boke” — rough, blurred, and out of focus. Named for the magazine Provoke, which sought to break the rules of traditional photography, this exhibition traces how Japanese photographers responded to their country’s shifting social and political atmosphere. Though American audiences may be less familiar with photographers like Masahisa Fukase, Eikoh Hosoe, Daido Moriyama, and Shomei Tomatsu, SFMOMA has been actively acquiring the work of these internationally recognized artists since the 1970s. The works in the show all come from the SFMOMA collection, considered one of the preeminent holdings of Japanese photography in the United States.

    This exhibition is organized by the San Francisco Museum of Modern Art and is generously supported by the E. Rhodes and Leona B. Carpenter Foundation.

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